一人で泣いていたぺりーの話
更新遅くなりましたごめんなさい!!!
イギリス留学予定のぺりーです。
リレー方式推したのわたしなのに、バトンをとり落としそうになってました
(単位落としそうの隠喩です気づきました?!……すみません)
さて、
今までのみなさんのブログがすごすぎて
何を話そうという感じなのですが、
比較的英語力に絡めた留学の話が多いので、
短期留学とは少しずれますが
そもそも自分がなぜ日本の外に目を向けるようになったのか
という話をしようと思います。
真面目な話ではありませんし、気軽に読んでください。
題名の意味は最後にわかります(笑)
前回も書きましたが、
頻繁に海外旅行に連れて行ってもらったり
家で海外のアニメを見たり、映画を見たり、本を読んだり
わたしには、かなり幼い頃から
”純粋に”外国を覗きみる機会がありました。
(両親には感謝してもしきれません)
”人に教えられている”という感覚が苦手なわたしにとって
これはとても大事なことで、
自分の好奇心の赴くままに探求していたら、
見たことのない世界への底なしの興味と
無鉄砲に飛び込む勇気が湧いてきてしまいました。
その好奇心は大きくなるにつれ膨らんでいき、ついに
小学5年生の夏に
作文と面接という選考を経て、
自分の住んでいた市の使節団として、姉妹都市の
中国・蘇州市を訪問することになりました。
行く前にちょこっと中国語を勉強し
1週間の間に蘇州→上海と見て回り
蘇州市の市長さんと会食をしたり
向こうの中高生と交流をしたり
(なぜ大勢の前でイケメンの中国人の男の子とドラえもんを歌ったのかはいまだに謎)
とにかく貴重な体験をたくさんさせていただきました。
↑なんと現地の新聞にも載りました(黒すぎて写ってない(笑))
その中で、今でも鮮明に覚えている出来事があります。
何日目かに、同い年くらいの子供のいる家にそれぞれ
ホームビジットをしました。
わたしが割り当てられたのは男の子の家でした。
初対面で何を話せばいいのかわからず
せっかく話しかけてくれても
そもそも英語がわからず
(10年前の中国の小学生英語喋れた…!!)
すると男の子は「英語が通じないよ」的なことをお母さんにいい
スマホはおろか携帯もなかったわたしは
しょっぱなからいきなり
恐怖に近いひとりぼっちを感じていました。
とはいえ、
博物館を見学し
地元のラーメン屋さんでお昼を食べ
一緒に過ごすうちに
まあなんとも初々しくかわいらしい写真を撮れるくらいには
楽しめるようになってきたんですね。
そして昼過ぎにはお家に連れて行ってもらい、
映画を見たり、ピアノを弾いたり、チェスを教えてもらい
言葉が通じなくても出来る精一杯のことをして遊んでいました。
途中、お母さんが少し出かけてくると言いだしました。
代わりに来たのが彼のおばあちゃんたち。
当時、日本人はそこそこ珍しかったようで、
わかるわけもない中国語でめちゃめちゃ話しかけられました。
少しするとお母さんがたくさんの写真を抱えて戻って来ました。
なんと、その日にお別れだからということで、
1日撮りためた写真を急いで現像してきてくださったのです。
が、ここで事件が起こります。
おばあちゃんたちがわたしを間に挟み
我先にと写真を見ていたとき、
一枚の写真のわたしの顔を指差して爆笑しながら
怒っているような中国語(ごめんなさい)で
両側からもみくちゃにされてしまいました。
それがもう
なんというかほんまに怖すぎて
その日1日抱えていた不安が一緒に吹き出し
その場で大泣きしてしまいました。
まさに burst into tears という感じで。
その写真がこれです↓
この写真撮るとき、いきなり肩を引き寄せられ
中国人こっわ…ってなって顔引きつったんですが、
それを照れてると思ったおばあちゃんたちが大笑いしていたとまあそれだけの話でした(笑)
このあと、団長さんと電話で話し、何を泣いてるんやと笑われたので、
(この団長さんがすごい)
中国語の授業で渡された冊子を持っていたことを思い出したわたしは
互いの言語を教え合うことで、晩ごはんまでにはその家族と仲良くなってしまいました。
これだけです。
これだけだったんですが
本当に言葉が通じないことの恐怖って感じたことありますか?
言葉のおかげで違う国の人と仲良くなれたときの喜びって覚えていますか?
小さなわたしにはいろんな意味で衝撃的でした。
この経験はわたしの今の原動力になっています。
以上、10歳の女の子のちょっとした冒険のお話でした。
11年前のことですが、アパートの部屋の造りまで鮮明に覚えています。
あ、朝5時に散歩に出たのに空気が黄色かったのも衝撃でしたね(笑)
テスト期間中で朦朧としながら書いていますので
冗長なのはお許しください。
では、インフルに気をつけてもう一踏ん張り!
さよなら〜〜!