ロックダウン下のフィリピンで感じたこと

お久しぶりです。そまえもんです。

久々の投稿となってしまいましたが、運よく当初の予定通り4月末に帰国していました。

コロナウイルスの大流行により、多くの留学生(留学予定だった方も含めて)に非常に大きな影響が出ています。

もちろんフィリピンも例外ではなく、自分も滞在中に"ロックダウン"を経験しました。

今回は、ロックダウン中のフィリピンでの経験を記事にしてみたいと思います。

 

1.そもそもどんな状況だったのか

 

フィリピン留学も残り1か月となった2020年3月中旬のことでした。

当時現地の企業でインターンをしていたのですが、その帰り道、タクシーに乗って家に帰っていると、

タクシーでかかっていたラジオから

 

「フィリピンをロックダウンする」

 

というドゥテルテ大統領の会見の様子が聞こえてきました。

「ロックダウン?」聞きなれない言葉に首をかしげながらも、コロナウイルス対策で街を封鎖するということがニュースから伝わってきました。

そして、3日後の夜から「マニラ首都圏の封鎖」、「夜8時以降の外出禁止」、「すべての公共交通機関の停止」などが行われることになりました。

やるとなったらやりすぎなまでにやるのがフィリピン流

バス・電車・grab(東南アジア版Uber)はもちろんのこと、スーパーやコンビニ、薬局、銀行といった生活に欠かせない店以外はすべて閉まり、わずか数日のうちにマニラの経済が完全にストップしました。

 

 

↑スーパーでインスタント麺を大量に買っていく人

 

2.ロックダウン中の生活

 

ロックダウンが開始されたその日から、スーパーには大行列ができていました。

「食べ物がなくなる」、「水がなくなる」、「薬がなくなる」といった噂が町中に流れ、

僕も当時一緒に住んでいたフィリピン人たちと買い出しに行きました。

9時開店の店に朝7時につきましたが既に大行列。

ソーシャルディスタンスや入店人数の規制が行われていたため、店に入り買い物が終わったのは午後2時ごろでした、、

公共交通機関はすべて止まっているため、家まで大きな荷物を抱えて歩くのもとても大変でした。

 

もちろん学校も閉まりました。授業はオンラインレッスンに移行することとなりましたが、学生の中には田舎に帰っている人も多く、通信環境が確保できない人もいました。

(これに対し学校側は非常に迅速かつ柔軟に対応し、「オンラインレッスンで修了する」、「対面授業再開後に補講を行って修了する」、「履修を諦める」ということを学生が選択できるようになっていました。)

 

しかし、マニラ首都圏のロックダウン施行後も、感染者の増加は止まりませんでした

特に感染拡大がひどい地域(僕の住んでいた地域もそうでした)では、市町村ごとの独自のロックダウンも行われるようになりました。

夜は軍隊が見回りを行い、深夜出歩いている人を取り締まるなど、非常に怖かったです。

↑チェックポイントの様子。この後タガログ語で怒鳴りつけられました(笑)

 

↑Quarantine Pass:外出時はこれを持ち歩くことが義務づけられていました。

3.ロックダウンを経験して感じたこと

  • 独裁政治の怖さ

日本ではコロナに対する政府の対応の遅さが何かと非難されていますが、フィリピンは全くの逆でした。

法律や憲法もお構いなし。大統領がやると言ったらやるのがフィリピン。

突然街を封鎖し、公共交通機関は停止、外出も規制される。武器を持った軍隊が各地でチェックポイントを作り、夜はランプを回しながら見回る。(ルールを守らず逮捕される人もいました)

日本で暮らしていると、国民の意見がなかなか目に見えて反映されなかったり、民意が反映されるまでの手続きの煩雑さに不満を覚えることも多いです。しかし、その国のトップが決めたことが即座に反映されてしまうのも非常に危険ということを身をもって感じました。

 

  • 情報を取捨選択する能力の重要性

これはフィリピンに限った話ではないかもしれませんが、未知のウイルスに対してインフォデミックが起こっていました。

ウイルスに対する誤った知識や予防策、ロックダウンによって食料や水がなくなるのではないかなど、真偽が不確かな情報がネットを通じて拡散されpanic buyingが起こるなど、社会的な不安が高まっていました。

信頼できる情報をどのように手に入れ、どのように生かすのか。情報リテラシーの重要性を感じました

 

  • 「普通の生活」の尊さ

今回のロックダウンによって、フィリピンでは多くの人が職を失いました。ロックダウン前に約5%であった失業率は、およそ18%にまで上がっています。

マニラ首都圏にはフィリピン中から職を求めてたくさんの人々が集まります。そういった人々の中には日雇いの仕事をしている人も多く、ロックダウンに伴って多くの人が職を失いました。

 

ある日突然町が封鎖され、仕事を失い、家族の元へ戻ることもできない。

 

収入が途絶えた本人はもちろん、その家族はどうなるでしょうか。考えただけで胸が痛くなります。

 

何事もなく「当たり前」の生活を送れることの尊さを感じました。

 

 

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現在もフィリピンではかなり規制が緩くなった形ではありますが、ロックダウンが続いています。

感染者も軒並み上昇を続けており、渡航制限なども今年中の解除は難しいとみられているそうです。

困難な状況が続きますが、またいつかフィリピンの地に戻れることを願っています。

 

皆さんも健康管理には十分気を付けてお過ごしください。

 

この記事を書いた人

そまえもん

法学部3年生。フィリピンのデ・ラ・サール大学に交換留学予定。留学先では開発経済学と計量経済学を専攻予定。高校時に10日間の海外研修を経験した後、大学での留学に興味を持ち始める。小学生のころからバドミントン一筋でやってきたものの、体育会系からはかけ離れた性格の持ち主。最近は背中や肩、腰に違和感を覚えるなど、おじいちゃん化の進行が否めない。

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